10月4日、主人と一緒に「火天の城」を観に行きました。
火天の城とは、織田 信長の安土城 築城のお話です。
天正4年、織田 信長が天下統一の足がかりとして安土の地に他に類のない城を築城せよ。とのことで一人の宮大工が選ばれる。
岡部又右衛門という人物です。
設計及び現場の総棟梁として選ばれるには、指図(図面)争いだった。金閣寺を建立した京の池上家、奈良の大仏殿建造を担った中井一門ら、と競い岡部又右衛門だけが、信長の意向に反して吹き抜けのない天守を作ります。
その意図は、吹き抜けがあると火災になったときに火の道を作り、お屋形様のお命を危険にさらします。
お屋形様のお命を守るのが大工の務めと言いきって信長の心を動かしたり、巨大な城の中心となる柱を危険を冒してまで木曽まで探し求めに行ったり、二尺五寸(約75cm)角の檜が必要なのです。
これは、樹齢2000年を超えるご神木となる木です。
当時、木曽は武田領で木曾義昌は檜を持ち帰ることを許さず杣頭(そまがしら)の甚兵衛に導かれてなんとか
親柱となる木を見つけ出しもらい受ける約束をします。
大雨が降るまで待てといわれてもなかなか雨も降らず、このままでは木曽から親柱が届かないと城が作れない。
そんな危機に、又右衛門の妻 田鶴がお百度参りをして祈りが届き大雨が降り木曽から柱が届くのですが
田鶴が病になり、城の完成を待たず亡くなってしまいます。
そして、又右衛門のために檜を送った甚兵衛は罪を問われ斬首の刑で命を落とします。
また、三万貫もの蛇石の運搬をしているときに信長の命を狙うものたちとの争いの中で蛇石が坂を転がりだして大勢の人が下敷きになって亡くなって。
大雨が降った夜のこと親柱の周りの敷石が沈み、親柱が天主を突き上げていた。このままでは梁が折れるか、親柱が裂けるかというときに親柱を持ち上げて根元を4寸ほど切ることになったときに職人も女のひともみんなで縄をつかんで血だらけになって柱を持ち上げで無事に仕事を成し遂げて....
いろいろなことをくぐりぬけて3年後安土城は完成した。
築城に3年かかり、その後3年で焼失してしまった安土城。
今はその姿を見ることはできないけど、職人が仕事に掛ける思いやそれを支える家族愛など気持ちが深く伝わってきて、主人ととてもよかったね。と話をしました。
ラストシ-ンは、お城をたいまつの火でライトアップしてます。